カテゴリ:沖縄移住物語( 7 )

3年目の沖縄

どうもどうも。

いつも、「あと一歩だぞ~!」というところで腰砕けになってしまい、詰めの甘さが課題となっている、カンサンジュンです。

じゃない、coconutです。


さて、今日1月15日で沖縄に移住して、とうとう3年の月日が経ってしまいました。

早いね~、もう3年ってか?

何の因果かスピリチャルに目覚めてしまったおっさんの、一見無謀とも思えた「出たとこ勝負の沖縄移住計画」でしたが、遂に3年を過ぎて継続中です。

これも沖縄の懐の深さ、それと沖縄で出会うことができた優しい方々のお蔭です。

本当に感謝しかありませんね。

ありがとうございます m(_ _)m


この3年間、いろんなことがありました。

そりゃ、いろんなことがあったさ~ね!

でもさ、やはりこうなるしかなかったとういう思いも色濃くあるわけで。

そう思うと、やはり必然だったんですね。

真理への探究という意味では、沖縄に来て一段と加速して行ったわけだし。

沖縄でしか体験できなかったであろう、あんなことやこんなこと。

マジで沖縄でしかあり得なかった体験の数々が、た~くさんあるわけで・・・。

ん~、こうして振り返ってみると感慨深いものがありんすね。  ←オヤ?


沖縄には独特の風土と文化があり、それを大切に守るうちなんちゅの方たちがいます。

最初は随分と戸惑いもありましたが、皆さん本当にやさしい方ばかりで、こうして何とか生活出来ているわけです。

それに、この沖縄の自然、風景。

海、空、雲、森、花、本当に癒されます。

基地がたくさんあるので、ジェット機やヘリコプターが飛びまわっている時もありますが、

神聖さを感じるパワースポットもあちこちにあったりする、とても不思議な土地。

沖縄って、住めば住むほど愛着が湧いて来る、そんな場所なのかもしれません。




3年か~・・・( ̄-  ̄ ) ンー

「3年」をモチーフに使っている言葉は意外と多くてですね。

ざっと挙げてみると、


『石の上にも三年』
・どんなに苦しくても大変でも、じっと辛抱すれば必ず報われる、ということ。


『桃・栗三年、柿八年』
・どんなことでも、成果が出るまでには、長い年月がかかる、ということ。


『顎(あご)振り三年』
・何事でも、身に付くまでには長い年月がかかる、ということ。


『商い三年』
・商売というものは、利益を上げるまでには三年かかる、ということ。


『3年目の浮気』
・馬鹿いってんじゃないよ、ということ


『3年B組金八先生』
・腐ったミカンにも方程式がある、ということ。 贈る言葉。



などなど、3年を「長い年月」と捉えることわざがたくさんあるわけですよ。

考えようによっては、一つの大きな節目になるかもしれませんが・・・。

今後ともよろしくお願いいたします m(_ _)m







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愛~する~あなたへ~♪ 贈る~言葉~♪♪
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by imacoconut | 2011-01-15 10:15 | 沖縄移住物語 | Comments(14)

2年前の旅立ち(番外編)

沖縄に来たら、ぜひこれを体験したいと思っていたことがありました。


それは、阿部さんのラジオ番組『阿部敏郎の青春ど真ん中!』を聴くこと。

それに「いまここ塾」の参加です。


『阿部敏郎の青春ど真ん中!』はラジオ沖縄の月曜の夜9時からやってました。

たぶんね、野球のナイターが始まると夜の7時に変わっていたような記憶があります。

ラジオ番組のことはブログを見ていたから知っていました。

やっぱりそんな話ばかりするのかと、期待してドキドキしながらスイッチを入れたんですが・・・。


わりと普通の番組でした(笑)

時々はメッセージ的な部分も織り込んでましたけどね。

でも面白かったな~。


「こんばんは!皆さんお元気ですか?阿部敏郎で~す!」


って声が聴こえて来た時は感動しましたね。

リクエスト番組とうたっておきながら、かかる曲は1~2曲。

しかも、大抵が自分の歌(笑)

その他は、CM以外はほとんど喋りっ放し。

ほんと、よく喋る(笑)

ディレクターの梅ちゃんって方がよくいじられて笑いを誘ってました。

毎週楽しみでしたけどね、今はもうないです。





それとね、うわさの「いまここ塾」の参加。

中城村の吉の浦会館、火曜の夜8時。

もう、あこがれてましてね、興味津々なわけです・・・(((o(^。^")o)))ワクワク

最初は超緊張のドキドキもんのデビューでした・・・。

(って自分が話すわけじゃないのに・・・)


どんな感じなのか想像できなかったかし、最初は会場もよくわからなかったから1時間も早く着いちゃってね。

そしたら、そんな気配がぜんぜんしないわけです。

シ~ンとしている。



( ̄ー ̄?).....??ありゃ??




「ここ?・・・でいいんだよな?」



30分前・・・。



同じく、シ~ンとしている。


だんだん不安が込み上げてくるわけですよ。


あの阿部さんの講演会だ、もっとざわついているはずだ。

行列はできないまでも、どんどん車が入って来ているはずだ。

場所が違うのか日にちを間違えたのか?

きっと、そうに違いない。・・・って。



で、あちこちキョロキョロしながら歩いて来てみると、いつの間にやら玄関に「いまここ塾」と書いた立て看板が・・・。


「あ、やっぱりいいんだ」


胸をなでおろして、会場入り口の受付の女性に500円を払い中に入ると・・・。




シ~ン・・・・( ̄Д ̄;;




え?



ほんの数名しか座っていない。



こ、これって・・・?



とりあえず、席に座り時計を見ると7時40分。


話声さえ聞こえない。


と、そのうちにパラパラと人が集まりだして、開始の時刻にはかなりの席が埋まってくる。


「う~ん、これが沖縄か~?」


そこに、後ろからいつの間にやら阿部さんが登場。



「おお~、阿部さんだ~!」



実は、阿部さんを見るのはこれが2度目なんですね。


最初に生の阿部さんを見たのは、東京の秋葉原「秋田犬」というライブハウスでした。

2007年10月21日。

忘れもしません。

だってこれ、父親が他界した日なんですもん、マジで。

あ、このエピソードの話はしましたっけ?

じゃ、その話はまた今度・・・。



そんな、なんとも言えない「いまここ塾」初体験でした。






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それがね~。

今ではすっかりと病みつきになっちゃって・・・(* ̄ ̄ ̄ ̄ー ̄ ̄ ̄ ̄)フッ
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by imacoconut | 2010-01-28 22:06 | 沖縄移住物語 | Comments(4)

2年前の旅立ち(最終章)

本部町のウィークリーマンションに仮住まいを始めて、とりあえずしていたことは周辺の探索。

「沖縄生活ってどんなんだろう?」

お店やら観光地やらを探索してあるいていた。


その合間を縫って仕事探しをした、・・・ってふつうは逆だろうか?

ただ、沖縄には仕事をしに来たわけじゃないことは確かだった。

仕事はあくまで生活費を稼ぐための手段であって目的ではなかったから。

目的は沖縄で暮らすこと、その時はただそれしか頭になかった。



また、この頃に感じていたことは「ぷ~太郎ってのもいいもんだな~」ってことだった。

朝起きて「さぁ、今日は何をしようか?」って、この感覚がたまらなくすきだった。

先のことは何にも決まっていなかったのに、不安より開放感の方がずっと強かったのだ。

実際、この期間は眠剤を使わなくてもよく眠れた。


しかし、そんな生活をずっと続けているわけにもいかない。

収入がないといつか底をついてしまうのは目に見えている。

それに、この仮住まいであるウィークリーマンションも期間が過ぎたら出ていかねばならない。


仕事に関しては内地にいた時からネットで調べていたので、大体どのあたりに働けそうな病院があるのかは見当をつけていた。

このころに思い描いていたのは、北部から順番に面接を受けていって、徐々に南部へ下りていこうという算段だった。

「どこでも働ければいい、とにかく沖縄で生活できればいい」

その時はそう考えていた。

今思えば順番を逆の南部からにすればよかったとつくづく思うのだが、今ではそうもいかない。

その時はそうに思ってしまったのだから。



まずは名護市のハローワークに出向き、パソコン検索で目ぼしい職場を探してみた。

募集はやはりそこそこある。

仮住まいをしている本部町にも募集している病院があった。

「まずはここから当たってみようか」

ハローワークの職員にこの病院を受けたい旨を相談した。


そして、この面接であっさりと採用が決定してしまう。

入職して分かったことなのだが(北部という土地柄もあるのだろうが)地元の人間だけでは医師や看護師は絶対的に不足しているということだ。

配属となった病棟でも、資格者11名のうちナイチャーは5人いる。

半分は県外の出身で沖縄に移住して来た人たちだ。

これも後から知ったことなのだが、移住してくる資格者にはその援助までしているということだ。

そうもしないと基準を満たせないのだ。

(あらかじめ知っていれば有難くお受けしたのに・・・)




「ま、これも何かの縁だろう」



軽い気持ちでこの病院に勤務することに決めた。

この病院では不動産屋も紹介してくれた。

そして、最初に見学した物件は病院から近い新築のアパート。

ベランダからの景色が素晴らしいので一目で気に入ってしまい、これまたあっさりと決めてしまった。


こうして、沖縄での生活が実際にスタートすることになる。


この資格を持っていて本当にありがたいと思った。

もしもということはあり得ないが、おそらく看護師の資格を持っていなかったらこう気軽に沖縄に来れなかったろう。

いや、沖縄に住もうという発想そのものが起きなかったかもしれない。

もしかしたら、沖縄に来るために看護師という資格を取ったとも考えられる。

今までの人生で起きてきたいろいろなこと、そのすべてに意味があるのだと心底思った。

そして、これから起きてくることにも・・・。


以前紹介した大好きな本「ニュー・アース」にこんな一節がある。


人生は意識の進化に最も役立つ経験を与える。

では、いまの経験が自分に必要だとどうしてわかるか?

それは現にこの瞬間に体験しているからだ。





                        


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                                 つづ・・・・・キガアルカモシレナイ                         
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by imacoconut | 2010-01-25 20:01 | 沖縄移住物語 | Comments(6)

2年前の旅立ち(その4)

沖縄3日目からは、本島北部にある本部町(モトブチョウ)のウィークリーマンションを予約しておいた。

なぜ本部町かというと、ネットで検索した結果、条件がよくて安いウィークリーが見つかったからだ。

また、那覇周辺には安いウィークリーが見つからなかったし、なにより田舎の方が沖縄らしさを味わえると思っていたからだ。

しばらくはここを拠点として就活をしようと考えていた。


ただ、本部町に暮らしてみてから大きな勘違いをしていたことに気づくことになる。

沖縄という島はこじんまりとしている印象を持っていたので、どこに住んだとしても目的地にすぐに行ける広さだと勝手に思っていたのだ。

本部町から那覇市まで、こんなにも距離があるとは考えてもいなかったのだ。



2晩お世話になった那覇市の宿を後にして、一路北へ向かった。

国道58号線を、ただひたすらと北上した。

天気は相変わらずの曇りだった。

どうやら沖縄の冬は気圧配置の関係で高気圧のへりに当たる形になるために、晴れる日が少ないようなのだ。


沖縄の道路を車で走っていると、本土と違う雰囲気を否応なしに感じることができる。

それは、道路わきに植えられた亜熱帯特有の植物の影響だけではない。

米軍基地のフェンスがやたらと続く光景を目にするし、横文字の看板が多いのも印象的だ。

それらは沖縄に来たという感覚をより一層強くすると同時に、沖縄について何も知らないで来てしまったことも痛感させられた。

やはり体感してみないとわからないことがたくさんあるのだ。


それともうひとつ、地名が読めない。

ウィークリーを頼んだ不動産屋から電話があった時「今どの辺ですか?」と聞かれたが地名が読めずに困ってしまった。


恩納村・・・「オンノウムラ?」


これはオンナソンと読むことを後から知ることになる。

北谷町をチャタンチョウとどうしたら読めるというのだ( ̄へ ̄|||) ウーム

キタタニマチと読むのが普通じゃなかんべか?  ←ナゼカグンマベン


そういえば内地にいた頃、黒斎さんのブログ「あの世に聞いたこの世の仕組み」を見つけてから夢中で読み始め、やがてブログランキングから阿部さんのブログを知ることになる。

その当時、阿部さんは中城村(ナカグスクソン)に住んでいたのだが、ずっとナカジョウムラと読んでいた。

でも、沖縄には金城さんという名字の方が多いのだが、キンジョウさんであってキングスクさんでもカネシロさんでもない。

玉城さんも多いが、これはタマシロさんだ。



あ・・・( ̄ο  ̄;) 、話がそれた。



無事に本部町の不動産屋に到着、案内してもらってしばらくの生活拠点となるウィークリーマンションに荷物を下ろした。

洗濯機に冷蔵庫、テレビなどの電化製品はもちろん、洗剤やらトイレットペーパーまで生活に必要なものはすべてそろっている。

有難いことに、インターネットまでつながっているのだ。

2階建てで全部で6室あるのだが、ここに住み着いて仕事をしている人もいるようだった。

しばらくは快適な生活が送れそうである。


「ここでのんびりと仕事探しをしよう」


この時はまだ、まさかこの本部町で暮らすようになるとは知る由もなかった。






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                                 つづく・・・ソンナキガシナイデモナイ
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by imacoconut | 2010-01-18 21:25 | 沖縄移住物語 | Comments(5)

2年前の旅立ち(その3)

沖縄には一人として知り合いはなく、何のコネもなかった。

まったくの未知の世界だ。

沖縄病にかかっていたわけでもない。

どうしても沖縄でなければいけない理由も見つからなかった。

でも、こうしてたった一人で沖縄に来た。

しかも旅行でなく、この地で生きていくためだ。

年齢的なことを考えるとかなりのハイリスクだ。



「何で沖縄なんだろう?」


「きっと、それなりの理由があるはずだ」


そんなことを思いながら、国際通りを後にした。

頭痛はいつの間にか治っていた。

バファリンが効いたということはただの頭痛だったようだ。

何か悪いものにとり憑かれたわけではなさそうだ・・・(^▽^;)

もしそうだとしたら、ユタと呼ばれている人を見つけねばならなくなる。

初っ端からそれだけは避けかったので、安堵したと同時に元気が出てきた。


次に向かった先はハローワーク。

やはり、現実もちゃんと受け止める必要がある。

働かないと生きていけない、しっかりとそんな観念を持っている。

ハローワークの場所はすぐにわかったが、不景気の影響かかなりの混みようだ。

沖縄の雇用事情は、すこぶるよくないらしい。

一人当たりの県民所得ランキングをみると沖縄県は全国最下位。

住んでいた栃木県からみると67.3%しかない。

東京都と比べると50%以下だ。(2006年度の内閣府「県民経済計算」より)

つまり、栃木県で月20万円稼いでいたとしても、「沖縄では13万5千円にしかならないよう」ということだ。



�煤i; ̄□ ̄A  「ほ、ほんまでっか?」  ←ナンデカンサイベンヤネン?



失業率も2008年は全国4.0%に対し沖縄県内は7.4%。

自我さんは「大丈夫?仕事なかったらどうするの?」と胸の内をつついてくる。


とりあえず、求人検索パソコンで仕事の有無を調べてみる。


「ん~、贅沢言わなければ仕事はありそうだ、後は雇ってもらえるかどうかだな」


それだけ確認すると、混みあっているハローワークは早々と切り上げることにした。


「とりあえず生きていければいい」


那覇の街を歩きながら、本気でそう考えていた。

時折、弱~い雨が落ちてくる。

自然と足が海の方角を向いていた。

着いた先には、小さなビーチがあった。

内地の若者だろうか、泳いでいるアホが一人いた。

その時、何か見てはいけないものを見てしまったような気がした。

彼こそユタが必要なのかもしれない(  ̄_ ̄;)



宿に帰ろうと歩き始めると公園があった。

そこには、ホームレスと思わしき人が数人ベンチにいた。

何故か安堵感が胸をよぎる。


「あ~、沖縄にもいるんだな。最悪の場合は彼らの仲間に入れてもらえばいい」


マジでそんな覚悟もあったのだ。



相変わらず那覇の空は曇ったままだった。






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                                  つづく・・・ホショウハナイ
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by imacoconut | 2010-01-16 21:21 | 沖縄移住物語 | Comments(0)

2年前の旅立ち(その2)

それは深夜の2時過ぎ・・・。


「はい、それでは解散!」
 

みたいな格好で深夜の那覇に放り出された感じだ。


実は沖縄へ上陸した最初の2日間は、那覇に泊まってのんびりしようと考えていた。

インターネットで安い宿泊先を調べ、一応予約は入れておいたのだが、なんせこの時間だ。

「遅くなりそうです」と電話は入れてあったが、果たして泊めてもらえるのか?

個人経営の小さい宿のようなので、心なしか不安であった。

その宿は、港から車で数分の街中にあった。


「さて・・・」


宿に到着し、こわごわと玄関の引き戸に手を当てる。

ガラガラガラ・・・。


「あ、開いた~!」Σ(T▽T;)


有難いことに、警備の人(だと思う)が起きていてくれたのだ。


「遅くなって申し訳ありません」


部屋のかぎを受け取って、とりあえず一安心。

ベッドに潜り込んだころには、すでに3時を過ぎていた。

長くフェリーで過ごしたせいか、まだ微妙に揺れている気がする。


「これからどんなことが起こるのだろう?」


そんな事を思いながら、いつの間にか眠りについた。



翌日は、那覇の街を徒歩で探検してみることにした。

宿の外に出てみると、どんよりと曇っている。


「これが沖縄の1月か、やっぱり暖かいな」


そう思いながら少し歩き出したところで、ふと気付いたことがあった。


「あれ?ここ来たことある」


過去、沖縄には1度だけ来たことがあった。

2003年、日本精神科看護学会の全国大会が沖縄で開催された時だ。

同僚が看護研究の発表をすることになり、研修という形で同行した。

つまり、唯一の来沖が仕事の一環だったのだ。

その時の観光は一切なし。

沖縄の白い砂浜や青い海を見ることすらなく、ホテルと会場の宜野湾市・沖縄コンベンションセンターをレンタカーで往復しただけだった。


「あ~、あの時に泊まったホテルだ」


偶然にも私の泊まった安宿は、その時に利用したパシフィックホテル沖縄のすぐ近くだった。

そして、やがて通うことになる「いまここ塾」や「水曜の会」の会場「てぃるる」はこのホテルのすぐ隣だ。

ちなみに、瞑想の伝授もこの「てぃるる」で受けている。

伝授後にみんなとお茶をしたのだが、なんとこのホテルの喫茶店だ。

まさか、数年後にこのホテルで阿部さんや瞑想の先生、伝授を受けた同期の仲間とコーヒーを飲むことになるなんて、誰が想像できただろう。



そのまま国際通りまで歩いて行ってみた。


「本当に沖縄まで来たんだな」


徐々に実感がわいてきた。

そのまま歩き続けていると、船旅の疲れが出たのか頭が痛くなってきた。

時間が経つにつれて、それはどんどんひどくなっていった。


「まいったな、我慢できないや」


三越の隣に薬局があったのでバファリンを買った。

沖縄に来て最初の買い物がバファリンだった。


「やれやれ、先が思いやられるな」


スターバックスでコーヒーと一緒にバファリンを流し込みながら、またそんな事を思っていた。

そのまんま、頭の痛い話である。





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                                つづく・・・トイイケド
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by imacoconut | 2010-01-14 22:35 | 沖縄移住物語 | Comments(6)

2年前の旅立ち

ちょうど2年前、2008年1月12日。

10年間連れ添った愛車エスクード号とともに、長年住み慣れた家を後にしました。

目指すは東京港有明フェリーふ頭、車ごと沖縄行のフェリーに乗るためだ。

車には載せられるだけの荷物、衣類、靴、本、一人分の食器などわずかな私物。

電化製品はノートパソコンとミニコンポ。

そして、何故か炊飯器と電子レンジ。

やはり、食い意地だけは張ってるようだ( ̄ー ̄;


出港予定は夜の8時。

1時間前には手続きを終了するようにとあるので、かなりの余裕をみての出発。

佐野・藤岡インターから東北自動車道にのり、首都高速を乗り継いでいく予定だ。

渋滞や道に迷って遅れたら困ると思っていたが、いたってスムーズでまだ明るいうちに着いてしまった。

フェリーの受付もまだのようだ。

車の中で買っておいたパンで早めの夕食を摂って待つことにする。


「何やってんのかな?俺」


自分でも何がこんな行動を起こさせているのか、理解できないでいた。

自分のしていることが不思議でしかたなかった。

まるで他人事のようなのだ。


「本当に行く気みたいだ、もう後には引けない」


そんな思いが胸をよぎる。

かといって、不安や焦りもなかった。


「起こるべきことが起きている」


そんな確信めいた思いがあることもまた事実であった。


そんなことをボーっと考えていたら、いつの間にかあたりが真っ暗になっていた。

ターミナルで受け付けを済ませ、一般乗用車の待機場所まで移動する。

同じフェリーを待つ車は数台しかいない。


ところが、予定の8時を過ぎても一向に乗船の気配が見られない。

フォークリフトだけが忙しそうに倉庫とフェリーを行き来している。

ただ、ひたすらに待つしかないようだ。

受付の人の話では、入港が4時間近く遅くなったそうだ。

よくあることのようで、顔色一つ変えずに説明してくれた。

お台場の大観覧車のイルミネーションがとてもきれいで印象的だった。

結局、乗船できたのは日付が変わってからだ。


「やれやれ、先が思いやられるな」


2等船室はだだっ広くて50人以上の大部屋だ。

でも、部屋には私を含め3人だけ。

それぞれが部屋の角に陣取り、静かに横になっている。

寝具は気を付けの姿勢でやっと寝られるほどの細いマットと毛布に枕。

那覇新港に着くのが14日の夜の予定。

48時間あまりをこの空間で過ごさねばならない。



船の中には娯楽らしいものは何もなかった。

ゲームコーナーと称するものはあるが、いかにも古そうなゲーム機が3台のみ。

甲板には寒くて出る気も起らない。

携帯電話も陸から離れてしまうと使えなくなることもしばしば。

本でも読もうかと思ったが、微妙な揺れがあって気持ち悪くなりそうで1ページも進まないで断念。

広~い部屋にはテレビが1台のみ。

他の2人が観る様子がないので独り占めだったが、地上波はまるで映らない。

なんとかBSの2~3局だけが観られるだけ、それも画質が悪い。


「やれやれ、先が思いやられるな」


なにより、人の気配がなく活気がないのだ。

案の定、とてもとても長~い船旅となった。

揺れが少なかったのがせめてもの救いか。


それで、結局那覇に着いたのが15日の深夜2時過ぎ。


「やれやれ、先が思いやられるな」


再び、そう思ったのは言うまでもない。


そして、シ~ンと寝静まった深夜の那覇の街。

栃木ナンバーのエスクード号は静かに消えていったのであった。





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                                     つづく・・・カモシレナイ
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by imacoconut | 2010-01-12 20:32 | 沖縄移住物語 | Comments(10)


沖縄の自然を写真でお届けします。


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